tawagoto9776Kayama’s diary

60歳から1年後に会社を退職し、登山、ジョギング、キャンプ、料理等々の執筆を始める。

国内向け国際化の必要(外国人受入れはもう避けられない)

  61歳のたわごとNo. 19

 最近の日本は人口減時代になっていることは、誰しもが認めることである。
 このような状況の中では、労働力確保のために、高齢者、結婚後の女性に対してもより多くの門戸が開かれていくことは間違いないし、現在もそのような状況で推移している、と断言できる。

 しかし、このような政策によって、多少の労働力が確保できたとしても人口減の状況は防ぎようがない。このための何らかの抜本的な政策をとらねば日本国内の人口がさらに減っていき、総人口が1億以下になることが近い将来間違いなくやってくる。

 

外国人移民の受け入れ

 このような状況であれば、私は外国人をより多く受け入れる方向性はもはや避けようがない、と私は考えている。おそらくは外国人に対してより広く門戸を開放することによって、色々な問題が発生してくると思われるが、外国人をより広く受け入れる政策をとりながら、発生してくる問題をその都度改善してく方針のほうが、手遅れにならないのではないか、と思う次第である。
  日本国の人口減に関してはすでに多くの専門家から指摘されていることではあるが、次回は人口減に関しての警告の書として最近発刊されている本を基に、その内容を紹介していきたい、と思っている。

 

外国人の受け入れに対する問題

 しかしもし外国人受け入れをより奨励することになれば、当然色々な問題が発生することも想定せねばならない。以前私がまだ結婚前、1人で生活していたころであるから、30年近く前の話であるが、1人住まい部屋の物件を捜してしていたころ、ある不動産屋から、外国人の住まいの斡旋はしない旨の話を聞いたことがある。つまり生活習慣が日本人とかけ離れており、トラブルの基になってしまうから、という理由である。具体的には、夜を徹して部屋で友人と大騒ぎをしたとかで、隣部屋の住人に対して迷惑を被ったらしい。

 また、私の実家は横須賀市の外れにあり小売り商売を営んでいたが、私の両親は商売を辞め別の家に引っ越した後、留守宅となったその家を、米軍横須賀基地に勤務している米国人家族に、不動産屋を通じて貸したことがある。その家には廊下があった。しかしそこに住んでいた米国人に、その廊下をデッキブラシでごしごし水と一緒に擦られ、廊下に傷がついてしまったことがある。

 このように、外国人が日本の家屋に住まわせるには、多くの困難が待ちうけていることは、間違いない。しかし今後は外国人受け入れを緩和し、入居制限を少しずつ緩和していった場合、様々な外国人を受け入れる準備をしていかなければ、とても今の日本国内での人口減少に対応できなくなるのではないか、と危惧する次第である。

 日本人の心の国際化

 しかしただ単に日本の外国人受け入れを進める以外にも、日本国内で変化しなければならないことがある。それは、我々日本国民が国際化の意識を持ち、外国人受け入れに対しての心の準備をすることである。ひと昔前であれば、“国際化”といえば、日本人が海外へ出てビジネスを推し進めることであったように思うが、これからは日本国内での“国際化”の意識改革が必要ではないか、と思うのである。

 

   そもそも“外国人”という言葉自体、日本が単一民族国家であることを、明確に表しており、私からすると内と外を分ける言葉であり、差別用語であるようにさえ思う。私がここで“外国人”という言葉を使用しているのも、他に適当な言葉が今の日本にはないからである。

 実際のところ、日本人の意識がどのように具体的に変わっていけばよいのかは、ここでは明確に述べるつもりはないが、今後もし外国人がより多く受け入れが始まり、日本の主要な都市以外にも、彼らが住む状況が一般的になっていったとすれば、日本人の意識改革が必要となるであろうことは間違いない。取り敢えず、外国人が日本に移住したら、外人という言葉を彼らに対して言わないことから始めるべきか。

 

                                                                                                                    香川 潤(記)