“未来の年表” 著者:河合雅司 を読んで
61歳のたわごとNo. 20
“日本が少子高齢社会にあることは、誰もが知る「常識」である。だが、その実態を正確にわかっている日本人は、いったいどれくらいいるのだろうか?”
この文章は、“未来の年表”はじめに の冒頭の文章である。
最近の日本は人口減時代になっていることは、誰しもが認めることである。とNo.19でも記載したが、今の世の中において、その危機感がかなり足りないような気がしてならなかったが、この本の冒頭の文章を読んで、やはりそうなのか、
との思いを強くした。
河合雅司氏の“未来の年表”は 2017年6月20日に第一刷発行され、第二弾の“未来の年表2”が2018年5月20日に第一刷が発行されている。
私は2冊とも本屋に本が出た直後に読んだが、読んだ時の衝撃が今も忘れられない。従って私がこのようにブログで書くより、この2冊の本を実際に読むほうが良いに決まっているが、とりあえず、私のブログにさわりだけでも記載し、この2冊を読むきっかけにしていただきたい。それでは以下に、本の内容の一部ではあるが、以下に本記載の一部を要約した形で、記載したい。
日本の総人口の激変
国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集」(2017年)よると、机上の計算では 2017年 人口が約1億2653万人、2065年に約8808人、100年後に約1380万人、西暦3000年にはなんと2000人にまで減る、となっている。机上の計算では、おそらく何の対策も行わなければ、100年後には国家として存続が危ぶまれるような状況ではなかろうか。
しかしこのようなかなり先のことでは実感がわかないかもしれないので、直近の年代のことを、この本から特に引用すると、2020年には女性の2人に1人が50歳以上になると言い、一般的な母親になり得るとカウントされている49歳までの女性が女性の半数以下になる、とされている。
一人暮らしの増加
また今の社会では一人暮らしの世帯が多くなり、2015年の国税調査では、一人暮らし世帯が34.6%、夫婦と子供世帯は26.9%との結果がでており、今もこの一人暮らし世帯が増加している傾向である。
どうして一人暮らしがふえるのだろうか?
それは子供と同居しない高齢者が増大したことが、大きな要因となっているようである。
一人暮らしの世帯が増えている要因として、未婚者の増加もある。50歳までいちども結婚したこのとのない人の割合を示す生涯未婚率は、2015年には男性23.37%、女性14.06%となり、家庭を形成しない人々は珍しくなくなっている。
また離婚されるカップルも増加しているようで、直近の2016年には21万6805組が離婚している。もちろん再婚する人もいるが、単純に計算すると婚姻数が62万523組のため、3組に1組が離婚していることになる。
また、この一人暮らしの世帯が増えることは、社会のエネルギー消費効率から言っても、非効率である。つまり人口が減っても、世帯数が減らないため、社会一般的に使用されている、電気、水道等々のエネルギーの非効率化が進むことにもなる。
そして2024年には3人に1人が65歳以上の「超・高齢者大国」になると言う。更に全国民の6人に1人が75歳以上、毎年の死亡者は出生数の2倍、老老介護が珍しくなくなるようである。
以上が、“未来の年表”の前半部分からの抜粋である。“未来の年表2” は具体的に起こりうると思われる出来事について記載されている。
学校クラブでのチームが一校で組めない
人口が減り子供の数が減ってくると、学校行事も様変わりし、地方の運動会などでは、主役の児童より見学に来た親たちの人数が多くなる。
また、クラブ活動の野球部においては、一校ではチームを組めずに、複数校で1チームを編成するために、ユニホームがバラバラになることもすでに、地方の学校では発生している模様である。(すでに起きているかもしれない)
空き家率が増加
空き家率が30%を超えた地域は、急速に治安が悪化し、スラム化し始めるという説があるらしい。野村総合研究所の試算(2016年)では、2033年の空き家率は30.4%に達するというから、もしこの説に従うならば、2030年代の日本は東京も含めて、荒んだ風景が広がることが予想される。
貧乏定年者が増大
日本の高齢化は、高齢者の絶対数が増えるだけではない。あなたの周りには、貧しい高齢者が目立ってくる。(私が現在契約社員として働いている地域ではすでにそのようになっているように思われる。)今後、低年金、あるいは無年金の高齢者が増えていくのはなぜだろうか。
現在の40代以下の世代のなかには、“失われた20年”の影響で、思うような職に就けなかった人が多く含まれる。低収入で年金保険料を納めることができなかった人も少なくない。何とか年金保険料を支払ったとしても、厚生年金に加入していないので、将来の年金受給額が少ない国民年金となる。それも未納期間があったりする。
(注)“失われた20年”とは日本経済がバブル期終焉後である1990年代後半から約20年以上にわたり低迷した期間
以上は具体的に起こると予想される出来事の一部であるので、本書を是非参願いたい。
これからできること
最後にこの“未来の年表2”では「戦略的に縮む」ことを説いている。人口減少社会において、少子化が止まらない以上、それを前提として社会を作り替えていかなければならない、ということは当たり前のことである。これは日本の政府だけが取り組むべき仕事ではなく、個々人が将来に向けて備える必要があると思われる。
今の国の年金制度の支給時期がより高年齢にならないと、支給されなくなる傾向にあることから、近い将来、個人年金保険に入るのが社会人の常識になるかもしれない。
また、少子化、および未婚の人々が増えていくことから、先祖代々から引き継いできたお墓を継ぐ人がなくなり、墓じまいをする人の件数が、今後さらに増えていくかもしれない。またお墓の在り方自体も色々と変化してきている、と聞く。
いずれにしても、自分自身の身の振り方を、以前より更に、考える必要がありそうだ。
香川 潤(記)
国内向け国際化の必要(外国人受入れはもう避けられない)
61歳のたわごとNo. 19
最近の日本は人口減時代になっていることは、誰しもが認めることである。
このような状況の中では、労働力確保のために、高齢者、結婚後の女性に対してもより多くの門戸が開かれていくことは間違いないし、現在もそのような状況で推移している、と断言できる。
しかし、このような政策によって、多少の労働力が確保できたとしても人口減の状況は防ぎようがない。このための何らかの抜本的な政策をとらねば日本国内の人口がさらに減っていき、総人口が1億以下になることが近い将来間違いなくやってくる。
外国人移民の受け入れ
このような状況であれば、私は外国人をより多く受け入れる方向性はもはや避けようがない、と私は考えている。おそらくは外国人に対してより広く門戸を開放することによって、色々な問題が発生してくると思われるが、外国人をより広く受け入れる政策をとりながら、発生してくる問題をその都度改善してく方針のほうが、手遅れにならないのではないか、と思う次第である。
日本国の人口減に関してはすでに多くの専門家から指摘されていることではあるが、次回は人口減に関しての警告の書として最近発刊されている本を基に、その内容を紹介していきたい、と思っている。
外国人の受け入れに対する問題
しかしもし外国人受け入れをより奨励することになれば、当然色々な問題が発生することも想定せねばならない。以前私がまだ結婚前、1人で生活していたころであるから、30年近く前の話であるが、1人住まい部屋の物件を捜してしていたころ、ある不動産屋から、外国人の住まいの斡旋はしない旨の話を聞いたことがある。つまり生活習慣が日本人とかけ離れており、トラブルの基になってしまうから、という理由である。具体的には、夜を徹して部屋で友人と大騒ぎをしたとかで、隣部屋の住人に対して迷惑を被ったらしい。
また、私の実家は横須賀市の外れにあり小売り商売を営んでいたが、私の両親は商売を辞め別の家に引っ越した後、留守宅となったその家を、米軍横須賀基地に勤務している米国人家族に、不動産屋を通じて貸したことがある。その家には廊下があった。しかしそこに住んでいた米国人に、その廊下をデッキブラシでごしごし水と一緒に擦られ、廊下に傷がついてしまったことがある。
このように、外国人が日本の家屋に住まわせるには、多くの困難が待ちうけていることは、間違いない。しかし今後は外国人受け入れを緩和し、入居制限を少しずつ緩和していった場合、様々な外国人を受け入れる準備をしていかなければ、とても今の日本国内での人口減少に対応できなくなるのではないか、と危惧する次第である。
日本人の心の国際化
しかしただ単に日本の外国人受け入れを進める以外にも、日本国内で変化しなければならないことがある。それは、我々日本国民が国際化の意識を持ち、外国人受け入れに対しての心の準備をすることである。ひと昔前であれば、“国際化”といえば、日本人が海外へ出てビジネスを推し進めることであったように思うが、これからは日本国内での“国際化”の意識改革が必要ではないか、と思うのである。
そもそも“外国人”という言葉自体、日本が単一民族国家であることを、明確に表しており、私からすると内と外を分ける言葉であり、差別用語であるようにさえ思う。私がここで“外国人”という言葉を使用しているのも、他に適当な言葉が今の日本にはないからである。
実際のところ、日本人の意識がどのように具体的に変わっていけばよいのかは、ここでは明確に述べるつもりはないが、今後もし外国人がより多く受け入れが始まり、日本の主要な都市以外にも、彼らが住む状況が一般的になっていったとすれば、日本人の意識改革が必要となるであろうことは間違いない。取り敢えず、外国人が日本に移住したら、外人という言葉を彼らに対して言わないことから始めるべきか。
香川 潤(記)
人の寿命が伸び続ける理由 平均寿命が続けて伸びている理由を考察
61歳のたわごと No.18
厚生労働省の資料によると、以下のように日本人の平均寿命が推移しており、日本人の寿命が年々伸びていることは、疑う余地がない。(申し訳ないが、他国の寿命動向については資料が十分ではない。)
和暦年(西暦年) 男 女 男女差
昭和35(1960) 65.32 70.19 4.87
昭和45(1970) 69.31 74.66 5.35
昭和55(1980) 73.35 78.76 5.41
平成02(1990) 75.92 81.9 5.98
平成12(2000) 77.72 84.6 6.88
平成22(2010) 79.64 86.39 6.75
(備考)
平均寿命はその年に生まれた0歳児の赤ちゃんが、今の死亡状況が変わらいと仮定した上で、その年にうまれた子供がその後何年生きるか推計したもの。
私は時々「人の平均寿命が何故急激に伸びているのか。」と考えることがある。
私が考えられることは、勿論学術的な見地からではないが、私なりにたどり着いた推論を以下に述べてみたい。
おそらくはいろいろな要因、理由が重なり合って、最終的な結果として日本人の平均的な寿命が延びている、と思われるが、一般的に言われていることは“医学の進歩”である。しかし私はどうもこれだけの理由とは思い難い。ある評論家が検証実験をした結果ではないが、と前置きした上で、“室内の冷暖房器具が近年一般的にどこでも完備されてきた。”ことも寿命が延びている理由ではないか、と述べていた。これも有力な理由と、私は考える。
しかし、私は以下の推論を考えている。
人類は“火”を発見したことを始め、より良く生き延びるため、道具を工夫し、集団生活における規則を工夫し、徐々に進化してきた。これは人類がより良く(より快適に)生きようと常に思い描いてきたために進化、進歩が可能になったことは間違いがない。
もう少し詳細に言えば、新たな発見、発明があり、人々の生活に役立っていくように、その発見、発明、改善がなされ、人々の生活に導入されていくにあたり、人々はさらに、良いものに発展させようと、日々努力を進めていく。このあらゆる分野における“良いものに発展させよう”とさらなる目標を立て続けていることは疑問の余地がない。またこのことが、人類の進歩につながり今日の便利な社会に至っているのは、おそらくは疑問の余地はないのではないか。
今も人間は社会生活を日々営むにあたり、より良く生きていこうとしていることは、いつの時代でも人々が望んでいることに疑う余地はない。つまり人々はより良く生活をするため、常に日々身の回りのこと、生活習慣も含めて工夫をしているわけである。
具体的に言うと、今を生きる人々は食生活に配慮し、またサプリメントの錠剤、タブレットが一般的に販売され、それを服用している人がなんと増えたことか。また、最近では登山をする人々が、以前は高齢者が多かったが、今では若者までも含めてブームになっている。
フルマラソン(42.195㎞)に至っては、多くの一般の人がレースに参加している。
サイクリングをする人も増えている。休日には私が住んでいる三浦半島に多くのサイクリストが訪れている。
つまりこのような、趣味,習慣がより良く生活を送ろうとする人々の目標意識の現れであり、またこのような意識をより強くもてるように、時代が進むにしたがって、気持の余裕も年々もてるように、なってきているのではないであろうか。
このような意識を人々は持ち続けていることが、結果的に寿命を年々伸ばしている、というのが私の持論であり、そもそも人類の進歩の一環でもあるように思える。
このことから、日々暮らしていくにあたり、年老いていく状況においても、常に目標意識を持ち続けることが、健康的に寿命を延ばすことにおいて重要である、と思うわけではあるが、このことを常に実行に移すことは、簡単ではない、と日々実感している。
香川 潤(記)
非正規雇用労働者になって その実態を目の当たりに経験
61歳のたわごと No. 17
しばらく投稿していなかったが、60歳から1年だけ以前勤めていた会社を延長していたが退職し、体が弱ってきて動けない母親の代わりに、資産整理等々を手伝った後、新たな仕事を就くこととなった。
その新しい仕事に就いた後に、生活がかなり変わったことから、なかなか以前のようにブログを記述するための気持ちのゆとりが持てず、記述を開始することができなくなっていたが、生活が落ち着いてきたので、今このように再度開始するに至った。
今の仕事を始めるにあたり、正直に言って少々衝撃を受けた。従ってこの衝撃について、この度は記述してみたいと思う。
非正規雇用者として勤務
私は以前働いていた会社まで自分の立場は、正社員であったが、そのことが別段特別なことでも何でもなく、ごくと普通のこととして、今まで のほほん と過ごしてきた。
しかし改めて、61歳の年齢になり、正社員の立場は望めないことから施設警備の仕事である契約社員となった。いわゆる世間一般で言われている、非正規雇用労働者に属する立場である。20日程勤務して税込みで月に20万前後の賃金が支払われるが、私の子供たちの学業終了までの費用を何とか確保していることから、この賃金の金額でもよしとせざる負えない状況である。
しかしその労働に就くことを正式に会社に認められていながら、“非正規雇用”と呼ぶのは何かおかしな気がするが、いわば“非正規雇用”とは時間払い雇用、日払い雇用 というような実態であろうか。ここではそのまま一般的に使用されている“非正規雇用”という言葉で記述することとする。
非正規雇用労働者についての定義
インターネットから得られた情報ではあるが、ここで簡単に正規雇用、と非正規雇用について以下に記載する。
正社員のように期間を限定しない契約を“正規雇用”、とそれ以外のパートやアルバイト、契約社員、また定年を過ぎ嘱託社員等々を“非正規雇用”と区別しているようである。総務省の情報によれば、日本の非正規雇用者の割合は38.2%ということらしいが、ここでパートとアルバイトは厳密な区別の違いはないようで、強いて言えば、学生が短期で働く場合はアルバイト、主婦のように比較的長期で働く場合は、パートと呼ばれているようである。
非正規雇用者の実態
当初私は、この仕事に就く前までは、自分と同じような立場であるサラリーマンの定年を過ぎた人たちが働く職場であろう、と考えていたがその実態は異なっていた。確かにサラリーマン上がりの人も何人かは職場にいるが、どちらかといえば、少数派であり、その多数派は長らく非正規雇用労働者として定年前も働いてきた人たちであった。彼らは私と同じく60歳を超えている人たちであるが、中には若い世代の人も勤務している。
このような非正規雇用労働者が多い状況は、おそらくは地域によってその状況は異なるのであろうことは予想されるが、それにしても定年前から長らく勤務している非正規雇用労働者が多いことに正直おどろいた。
非正規雇用は、通常月20日程勤務して残業、夜勤を含まない場合、税込みで20万円前後の月収であるのが一般的であるが、彼らの今までの賃金が定年前もずっと20万円程であったことを意味する。
この賃金では家族を形成して養っていくことは、不可能とは言わないまでも、かなりの困難を伴うことになることは、いままで自分で家族を養ってきた経験から容易に想像できる。
また基本的には、時間勤務払い 又は日払い勤務払いとなるため、夏休み、冬休み等々の会社が定めた給料が支払われる休みが無い。働いた時間、日数に対してのみ給与支払いがされるため、できるだけ給与を受給するために、長期の休暇を取らずに働くことになってしまう。
中には母親と同居して、二人で住んでおられる人もいるが、当然病院等に母親を連れていく場合は、仕事も休むことになり、給与も支払われない。
また、自宅であるワンルームの部屋に戻ると、出来るだけお金を使わずに済むためか、いつも敷いてある布団にもぐっている、という人もいる。要するに生活する上で心の余裕が持てずにいるのではなかろうか。
若い世代、(40台前半の年齢)の従業員もいるが、その同僚は今の境遇から抜け出して他の職場に転職する意欲も低いようにも思う。本人曰く40歳を過ぎると非正規雇用の職しかない、と言う。
パートとアルバイト、60歳以降の嘱託社員は私が働き始めたころからある労働形態であったが、それ以外の非正規雇用者の存在は、少なくとも私が働きだした頃の40年近く前は、ほとんど聞かれず、会社に入社したら、正社員が少なくとも当たり前であったように思う。しかし一般的な働き手が長らく非正規雇用者であり、その数が私にとって予想外に多いことに正直なところ大いに驚いた。また比較的長く勤めていると正社員の場合はある程度の給与の額が増える傾向にあるが、それが全くない非正規労働者の厳しい現実を目の当たりにした。
非正規雇用者の背景及び今後の状況
私が通っている職場は、周辺に多くの大型物流センターがあるような地域で、どうも非正規雇用者が私の勤務先以外にも大勢働いているように思われる。駅からその地域に出発するバスに、朝早くから大勢の労働者が乗車する。外国人労働者も多数いる。おそらくこのような地域であるため、なおさらトラックからの荷卸し作業、荷積み作業、仕分け作業、施設警備等々のいわゆる単純作業に従事する人々多いように思われる。
私が働きだした40年ほど前は前述したとおり、自社社員がすべての作業を行っていたようにも思われるが、年々各市場における競争が激化していくにしたがって、安い労働力が確保できる外部委託会社に、人材を求めるように移行していったものと思われる。初めは、派遣社員とよばれる職種があり、彼らは働きたい時間に仕事ができる、ということで、若い人たちにも浸透していったが、職種にもよるのであるが、非正規雇用労働者は単純作業に属する職種に関しては、安い賃金に抑えられて、企業間の低価格競争の助長するための無くてはならない労働者になっていったのではなかろうか。
最近どうも正社員でない人々がかなり増えている、と聞いてはいたが、実際にその実態を目の当たりにすると、人々の間でも格差がさらに広がっていることを、まざまざと実感した次第である。
今後外国人労働者が日本にも増えていく状況の中で、非正規雇用者の立場はますます厳しくなっていくかもしれない。しかしこれではいくら少子化問題を解決しようとしても、家族を形成すること自体が厳しい非正規雇用労働者にとっては、少子化問題は解決がむずかしいのではないだろうか。
また日々の電気、水道、ガス等々の日本のエネルギー効率の観点からみても、家族を形成しないで一人で生活すると、人口が少なくても世帯数が多いため、エネルギー消費効率がどうしても上がらないのではないだろうか。
この方面の専門家でもない私にとっては、この現状を改善するための打開策を述べる資格はないが、今後は非正規雇用者でも安心して家族を形成してと暮らせるような社会に少しでも近づけるよう、政府には対策を考えてもらうことを、お願いするだけである。
香川 潤(記)
日の出 日の出を見詰めると何故か気分が良くなる
61歳のたわごとNo. 16
私が日の出を時々眺めるようになったのは、わずか数年前のことである。
私の自宅は東京湾に面した海岸まで、徒歩で5分程の距離にあり、以前より元旦の1月1日には、多くの人々が海岸線に来て初日の出を見ている、とは聞いていた。しかし冬の寒い中、わざわざ朝早く起きて、海岸まで行く程の価値があるのだろうか、疑問に思っていた。
しかしあまりにも多くの人が海岸に来て、東京湾を隔てた房総半島の山々から昇る日の出を見る人々がいる、と良く聞くので、1度はものの試しと思い、ある年の1月1日朝早く、海岸に行った。数年前のことである。
東の空が明るんでくると、いよいよ海岸線に人が増えてくる。
人々の顔が、太陽が昇る直前の茜色の光で多少赤く染まってくると、いよいよ日の出である。太陽が山陰から徐々に顔を出してくる。改めて確認したが、太陽は垂直に昇るのではなく、斜めに昇る。(考えてみれば当然であるが)
皆がただただ見詰めているが、ふと太陽を見詰めているときは、何故か皆が幸福そうに見える。私も幸福感が心を占める。何か我々人間は生かされている、と何となく感じ入るのである。何とはなく、誰もがありがたく幸せそうに見入っているのである。
私は個人的には何もお願い事は唱えていないが、人によっては何か願い事を唱える人もいるのかもしれない。
このように、ある年の元旦に日の出を見詰めてから、毎年の元旦には必ず、日の出を見詰めることが、私個人の慣例になった。最近は 時々、元旦以外でも、日の出を見に行くことがある。
主観的で、客観的にうまく説明することが難しいが、一度太陽が昇る瞬間をながめてみることをお勧めしたい。あなたも何か良いフィーリングを得られるかもしれない。
(備考)日の出の感想はあくまで、個人的見解です。
自宅近くの海岸から昇る朝日
香川 潤(記)
山登り 3 歩行、呼吸、帽子、ストック
61歳のたわごとNo.15
ジグザク歩行
きわめて急な山の坂を登る時、特に体力的にへばっている時には、そのまま急坂を歩きつづけると相当に堪える。このような時、私がやっている方法がある。坂を直線的に登るのではなく、ジグザグに歩くのである。
当然歩く距離は長くなるが、急な坂が多少なりともなだらかな坂に変わる。また、ジグザクに歩く時には、右斜めに登る時と、左斜めに登る時では、若干であるが、重点的に使用する足の筋肉が異なることで、重点的に使用しなかった筋肉が、少しだけ休息をとることができるような、気がする。
初めからこの歩き方では歩行距離の観点から無駄になるが、心臓破りの坂等々、時折この歩行をすると楽になる。
登山靴のフラット接地
登山時の歩行に関して、地面に対してフラットに接地するようにすることは
よく言われることであるが、初めからフラットに地面に接地が出来るわけではない。しかし滑り易い地面等々の登山道においては、きわめて重要である。
一般的には普段歩いているように、登山靴のかかとのクッションがあるためにかかと接地で初心者の場合は歩いている場合が多い。
私は登山を始めて間もない頃、冬季に登山道を歩いていると、地面が凍っている登山道が時々あり、かかと接地で歩いていたが故に、一見なんでもないような場所でも数回滑って転んだことがある。かかとで着いた場所が凍っていたのである。足の接地した面積が狭いが故に、転んだものと思われる。
フラット接地で歩くためには、女性がハイヒールを歩くときに靴の前面で接地するようなイメージで、とりあえず前足の部分で接地するような状況から、靴底の
全体で接地するような状態にもっていくのが、イメージしやすいだろうか。
呼吸方法
これもきわめて体力的にへばっている時に、私が行う呼吸法がある。
私は、苦しくなると、多少頬っぺたを膨らませて呼吸するようにしている。
この呼吸方法をすることで、多少増量した空気を吐き出すことができる。より多くの空気を吐き出すことで、逆により多くの空気を吸い込むことになる。長くこの呼吸を続けると、逆に疲れるが、短い間であれば、歩行速度が遅れずに、山の難所を何とか切り抜けることができる。
呼吸時に口を多少膨らませて、息を吐くと、より多くの空気を摂取できる。
帽子(キャップとハット)
登山をする時、夏の時期に暑いと感じても、帽子はかぶったほうが良い。
通常の登山道を歩いている時でも、いつ何時上方向から石または岩が落ちてくるかわからない。直接頭に直撃するよりも、帽子の布を通じて、または帽子のつばがあったが故に、頭、顔への直撃を防げるかもしれない。
まだ私が登山を始めていない、30歳の前半のころだった。一緒に仕事をした人で、丹沢の山を歩いている途中に、顔に岩石の直撃を受けたことがある人がいた。岩山とは言いがたい山を登山している時にも上から岩石が落下してくることがあるのか、と今更ながら恐ろしいし、この教訓から、私はいつ何時でも帽子をかぶるようにしている。岩の直撃を万一受けたときには、ケガすること自体は免れないかもしれないが、多少なりともケガの度合いを軽減できるのではないか、と思われる。
帽子にはキャップとハットの2種類があることは言うまでもないが、それぞれに帽子として長所と短所がある。
キャップは前にしかつばがない。従ってやはり日焼けを防ぐには、ハットのほうが良い。しかし逆にハットはつばが全周囲にあるため、レイウエアのようにフードをかぶる時に邪魔になり、ハットを脱いだ上でフードをかぶる必要がある。その点、キャップは前にしかつばが無いため、雨の日にレインウエアのフードをかぶった時に、ひさしの役割も果たし、顔に雨が比較的当らなくなる。しかしハットを直接かぶり、フードをかぶらないという選択もあり、この方が雨にあたらない、と言う人も居る。
また、キャップのほうが、周囲を見渡し易くなり、風もハットより顔、頭に受け易く暑い夏の時期はハットより涼しく感じる。
キャップとフードは相性が良く、フードを被ると久の役割ができる
登山用ストック
最近は2本のストックを持つ登山者が増えてきているが、私が登山を始めた10年以上前は、1本のストックの使用が主流であった。または手がふさがる、との理由から、ストックを持たない人もいる。
私はひざに不安(痛い程ではないが)を感じることがあるため、2本のストックを持って登山をする。2本ストックで歩くと、足にかかる負担を2本の腕にも分散でき、結果的に体全体で負担を分散ができているように思う。
従って2本ストックを持つと、体の筋肉全体を使うような感覚になり、肩周りの筋肉の、疲労感、筋肉痛を感じることもある。
しかし、前述したように、2本ストックを使用すると、手がふさがりどうしても手を使って登らなくてはならない状況において、ストックを背中のザックに取り付けなくてはならなくなり、非常に面倒でこともある。
香川 潤(記)
山登り 2 指標の山 (私の場合は塔ノ岳の大倉尾根)
61歳のたわごと No.14
時々、“自分はどの程度の体力があるのだろうか”と登山をしつつ思うことがないだろうか。特に大きな山、例えば、アルプスと名が付くような山にチャレンジする前に、どのぐらいのペースで歩くべきかを考えた時、客観的な自分の体力を把握しておく必要があるのではないか、と思うのである。
この目的のため、私はある基準とする山を定期的に登ることにしている。
私の場合は、丹沢山系にある“塔の岳”の大倉尾根ルートを繰り返し登っている。
(何回登ったかはすでに明確ではないが、20回以上は登っているのではないか、と思 う。)
繰り返し登ることで、そのルートに対してどのくらいの時間で登れたか、下りはどうであったか、と今までの登山状況と具体的に比べることができる。
(当然その時々の体調、日々の生活の疲労状況によってかかる時間が異なることもあるが。)
この塔の岳の大倉尾根ルートは、通常バカ尾根とも呼ばれることがあるように、何回登っても、私にとっては非常に厳しいルートである。体調がすこぶる良いのに、
気分的に登山をする意欲が低い時などは、途中で引き返したことも何度かある。
ようするに、体力、気力を充実させないと、登りきれなかった。
自分自身のことを書くことは、気が引けるが、私が57歳の時であった。
その年の前半と後半のある日に、大倉尾根を登ったことがあった。
なんと、その年の前半時に登った時と、後半時に登った時とでは、頂上までの到達時間30分も違っていた。何故このような時間差が生じたのか、よくよく考えてみた。
その年の前半時の体調も、後半時の体調も大きな違いがあるようには思えなかった。また登る時の精神的、肉体的に疲労も特にあったようには思えなかった。
色々考えて結論が出た。残念ながらおそらくは、より頻繁に山にのぼらなければ、体力が維持できなくなっている年齢になってしまったようで、その分岐点であったようである。その分岐点にどうも57歳はあったように、思えてならない。
その後、しばらくして再度大倉尾根を登ったが、くやしいかな、57歳の前に登れたような時間ではまたしても登れなかった。もう以前のように勢いで登りきることができない、と悟った。
わたしはもう1つ頻繁に登る山が自宅近くにある。
このコースは短く、険しい山ではなく、約1時間半で登って下ってくることが
できる。このような短いコースでは、57歳の前半時と後半時にであったような
登攀時間に差がでてこない。
このように、自分の体力をある物差しで、具体的にわかっていれば、他の山
を登る時に、休憩の取り方、計画の立て方等々で、参考になると思う。
雪の積もった塔の岳山頂 雪が降っても登山者は多い
香川 潤(記)