山登り 3 歩行、呼吸、帽子、ストック
61歳のたわごとNo.15
ジグザク歩行
きわめて急な山の坂を登る時、特に体力的にへばっている時には、そのまま急坂を歩きつづけると相当に堪える。このような時、私がやっている方法がある。坂を直線的に登るのではなく、ジグザグに歩くのである。
当然歩く距離は長くなるが、急な坂が多少なりともなだらかな坂に変わる。また、ジグザクに歩く時には、右斜めに登る時と、左斜めに登る時では、若干であるが、重点的に使用する足の筋肉が異なることで、重点的に使用しなかった筋肉が、少しだけ休息をとることができるような、気がする。
初めからこの歩き方では歩行距離の観点から無駄になるが、心臓破りの坂等々、時折この歩行をすると楽になる。
登山靴のフラット接地
登山時の歩行に関して、地面に対してフラットに接地するようにすることは
よく言われることであるが、初めからフラットに地面に接地が出来るわけではない。しかし滑り易い地面等々の登山道においては、きわめて重要である。
一般的には普段歩いているように、登山靴のかかとのクッションがあるためにかかと接地で初心者の場合は歩いている場合が多い。
私は登山を始めて間もない頃、冬季に登山道を歩いていると、地面が凍っている登山道が時々あり、かかと接地で歩いていたが故に、一見なんでもないような場所でも数回滑って転んだことがある。かかとで着いた場所が凍っていたのである。足の接地した面積が狭いが故に、転んだものと思われる。
フラット接地で歩くためには、女性がハイヒールを歩くときに靴の前面で接地するようなイメージで、とりあえず前足の部分で接地するような状況から、靴底の
全体で接地するような状態にもっていくのが、イメージしやすいだろうか。
呼吸方法
これもきわめて体力的にへばっている時に、私が行う呼吸法がある。
私は、苦しくなると、多少頬っぺたを膨らませて呼吸するようにしている。
この呼吸方法をすることで、多少増量した空気を吐き出すことができる。より多くの空気を吐き出すことで、逆により多くの空気を吸い込むことになる。長くこの呼吸を続けると、逆に疲れるが、短い間であれば、歩行速度が遅れずに、山の難所を何とか切り抜けることができる。
呼吸時に口を多少膨らませて、息を吐くと、より多くの空気を摂取できる。
帽子(キャップとハット)
登山をする時、夏の時期に暑いと感じても、帽子はかぶったほうが良い。
通常の登山道を歩いている時でも、いつ何時上方向から石または岩が落ちてくるかわからない。直接頭に直撃するよりも、帽子の布を通じて、または帽子のつばがあったが故に、頭、顔への直撃を防げるかもしれない。
まだ私が登山を始めていない、30歳の前半のころだった。一緒に仕事をした人で、丹沢の山を歩いている途中に、顔に岩石の直撃を受けたことがある人がいた。岩山とは言いがたい山を登山している時にも上から岩石が落下してくることがあるのか、と今更ながら恐ろしいし、この教訓から、私はいつ何時でも帽子をかぶるようにしている。岩の直撃を万一受けたときには、ケガすること自体は免れないかもしれないが、多少なりともケガの度合いを軽減できるのではないか、と思われる。
帽子にはキャップとハットの2種類があることは言うまでもないが、それぞれに帽子として長所と短所がある。
キャップは前にしかつばがない。従ってやはり日焼けを防ぐには、ハットのほうが良い。しかし逆にハットはつばが全周囲にあるため、レイウエアのようにフードをかぶる時に邪魔になり、ハットを脱いだ上でフードをかぶる必要がある。その点、キャップは前にしかつばが無いため、雨の日にレインウエアのフードをかぶった時に、ひさしの役割も果たし、顔に雨が比較的当らなくなる。しかしハットを直接かぶり、フードをかぶらないという選択もあり、この方が雨にあたらない、と言う人も居る。
また、キャップのほうが、周囲を見渡し易くなり、風もハットより顔、頭に受け易く暑い夏の時期はハットより涼しく感じる。
キャップとフードは相性が良く、フードを被ると久の役割ができる
登山用ストック
最近は2本のストックを持つ登山者が増えてきているが、私が登山を始めた10年以上前は、1本のストックの使用が主流であった。または手がふさがる、との理由から、ストックを持たない人もいる。
私はひざに不安(痛い程ではないが)を感じることがあるため、2本のストックを持って登山をする。2本ストックで歩くと、足にかかる負担を2本の腕にも分散でき、結果的に体全体で負担を分散ができているように思う。
従って2本ストックを持つと、体の筋肉全体を使うような感覚になり、肩周りの筋肉の、疲労感、筋肉痛を感じることもある。
しかし、前述したように、2本ストックを使用すると、手がふさがりどうしても手を使って登らなくてはならない状況において、ストックを背中のザックに取り付けなくてはならなくなり、非常に面倒でこともある。
香川 潤(記)